Sunday, December 11, 2011

275日



昨夜は皆既月食でしたね。
仙台は部分月食は観れたものの、皆既の頃は雲がかかりほとんど観れませんでした。
残念ながら赤銅色の月を生で拝む事はできなかったけど、ネットや新聞で堪能しました。
こんな写真しか撮れなかったけど、一応記念に。

今日で震災から9ヶ月。コートを着込んでラジオを聞きながら寝ていたのが昨日の事のよう。
いろんな事に一喜一憂しながら過ごしてきた日々はあっという間でした。気持ちは落ち着いたと思っていたけど、ちょっと震災関係の話題が出ると、思い出しちゃって泣きたくなってくる。
いい方向に向かっている話を聞いても、その頑張りに対して泣けてくる。
もうね、昔の我慢強い滅多に泣かない私はどこにいったの?ってくらい。涙流してストレス発散です。

年末年始は仕事だけど、自宅で家族一緒に新年を迎えられるであろう事(最近地震が多いから油断ならないが…)を本当にありがたいと思いつつ、9ヶ月目を祈りたいと思います。

Monday, November 28, 2011

***



いつかの青空。
お休みの日に天気がいいと、うれしい。
外はまだ暗くて、今日の天気はわからないけれど。

Tuesday, October 25, 2011

おめでとう






10月23日、友達に赤ちゃんが産まれました。
嬉しい、嬉しいニュースです。
赤子然とした泣き声、泣き顔…泣き終わった後の可愛らしい顔…
パッチリ二重の美人さん、数字の「3」に縁があるようで(体重やら身長やら誕生日やら)
名前がまだ決まって無いってことだったので、勝手に「さんちゃん」と呼ばせていただきました(笑)
でも今日また行ったら(昨日も行った)ステキなお名前がついてた!
これからは「きーちゃん」と呼ばせていただきます( *´艸`)♡
Mどん、おめでとぉ〜♪


Tuesday, October 04, 2011

金木犀



いつの間にか金木犀が咲いていた。
いろんな所でいい匂い。


Monday, September 12, 2011

十五夜


今日は中秋の名月。そして6年ぶりの満月だそうだ。
暦だから、必ずしも満月になるってことではないんだね。
以前載せた月の写真よりも上手に撮れた♪

Wednesday, August 31, 2011

それにしても



あつ〜〜〜〜〜い夏でした。30℃超えが普通になってしまった。
暑さと湿気が苦手だから、8月の休みの日はあまり出歩かなかったな…
これから大好きな冬に向けて、夏にでなかったやる気を取り戻すぞー♪( ´▽`)







毎日駅で見るこのポスターが好きです。
色が好き。

Thursday, July 21, 2011

東北六魂祭





小岩井の前に、東北六魂祭に行ったんだった。
初日(7/16)に行ったんだけど、人が多すぎるとのことでパレード中止。
市役所前でしまう前のねぶた、わらじ、竿燈をかろうじて見れました。
花笠踊りとさんさ踊りは背伸びしてなんとか定禅寺通で見れたよ。
2日目は規模を縮小してパレードしたみたいですね。
準備期間が短かったとはいえ、なんとも残念なお祭りでした。

小岩井農場





3連休の真ん中が休みだったので、岩手の小岩井農場に行ってきました。何年ぶりだろ?
めちゃめちゃ天気良くて、気温も上昇、暑かった〜(^_^;)
ジンギスカンと飲むヨーグルトにソフトクリームのったの食べてきたよ♪
うちの近所にも、こういう広大な公園がほしいなー。


Monday, July 04, 2011

鎌倉(長谷寺・高徳院・鶴岡八幡宮)





















さて2日目です。
まずは「長谷寺」
長谷観音と紫陽花が有名。シャッター押さずにはいられないほど、いろんな紫陽花が植えられてました。親切に花の横に名札もあって、「キララ」というかわいい名前の写真を一枚目に載せてみました。もっとアングル変えて撮りたかったけど、この日も暑くて立ってるだけで汗が…散策路は山登り的できつかったけど、上から見る景色と紫陽花と日陰と風が辛さを忘れさせてくれました。
観音様は10メートル近くあって、黄金で十一面で、しかも結構近くから拝めるから迫力がすごかった。ここでもそうだけど、今回お寺拝観で東日本大震災の物故者の霊をどこでも慰霊していて、ありがたいなぁと思いました。お寺だけでなく、街中でも義援金や寄付金等書いてる貼紙もよく見ました。応援してもらってるんだなーって感じました。


紫陽花三昧の長谷寺を後にし、次は「高徳院」
鎌倉大仏です。初めて見るよー!
昔は金色で、大仏殿があったらしい。建物の礎石がまだ残ってました。相当大きい建物だったんですね。礎石を確認して後頭部を撮影しつつぐるっとひとまわり。与謝野晶子の歌碑にもあるように、ここの大仏様はかっこいいかもしれない…とお顔のアップの写真を見て思ったのでした。
頭に鳩が止まったのでついでにパチリ。お顔、整ってるな〜。


最後にやってきたのが「鶴岡八幡宮」
雲行きが怪しくなってきたので早歩きでまわってきました。汗だく。
七夕飾りがかわいい。吹き流しのくす玉部分が花ですよ。
こちらで「鳩みくじ」なる鳩ストラップがついた可愛らしいおみくじをひいたら、人生初めての大凶をひいてしまいました。記念に持って帰ろうかと思ったけど、持って帰るのは鳩ストラップだけにして、しっかり結んできましたよ。悔しいから普通のおみくじもひいてみたら吉でした。
願いが叶うという折り鶴の形をしたお守りを買ってみた。大凶だけどね…
そうこうしているうちに雨がポツポツと降ってきた!大凶だからだ〜なんて言いながら鎌倉駅へ急ぐのでありました。
今回の旅はこれで終了〜!!1泊2日で充分楽しめました。
今度鎌倉行く時は、回りきれなかったお寺や、アンティークのお店、おしゃれなカフェなどに行きたいな。あ、江ノ島も行かなきゃね。
でもこの時期に南へ旅行するのはもう懲り懲りです(^_^;)

次はいつ、どこに行けるんだろうな〜。

鎌倉(報国寺・建長寺・妙月院・円覚寺)



















6月29〜30日に鎌倉へ行ってきました。
すーっごく暑くて、汗だくになりながら、初日は4つのお寺を巡ってきました。
まず竹林が有名な「報国寺」
竹庭に入ったとたん、すーっと涼しくなって気持ちよかった。
竹の緑と空の青と涼しい風。身も心も癒されたひと時でした。

次に訪れたのは「建長寺」
法堂の雲龍図は迫力がありました。紫陽花もたくさん咲いてました。
三門は重要文化財で、どっしりとして風格漂う門でした。

次は「明月院」
紫陽花の参道は見事!写真載せたかったけど、自分も写ってるのでやめました(^_^;)
そのかわり、明月院で見つけたハート型の紫陽花を…

最後に「円覚寺」
国宝の舎利殿が遠くからしか見られなくて残念でした。
宝冠釈迦如来像は頭だけでなく胸飾りもあってきらびやかなお釈迦様でした。
天井に白龍図が描かれてたけど、建長寺のほうが迫力あったな。
弁天堂茶屋という山の上の見晴らしのいい茶屋があって、本当は行きたかったんだけど、体力の限界で諦めました(笑)
一日中炎天下の中歩き回って、足もむくんで限界、お肌も日焼けして限界、それなのにこれから山登るなんて無理でした…次回ね

そんなこんなで一日目終了。

Saturday, June 25, 2011

友達の子供がかわいい件






高校時代の友達の家へ震災前に遊びに行った時の写真。(ちょっとクロスプロセス加工しました)
いつもは6人で集まる仲間なんだけれど、この日は5人。+子2人。
もう1人は赤ちゃん産んだばかりだったので来れませんでした。
載せるねって言って許可もらったのに、震災があったから約束はたせずでした。
今度もう1人の赤ちゃんに会いに行くので、その前にと思って。。。

遊びに行った家のお子は男の子(K)
かーわーいーいー!
Kはまだハイハイ状態で、移動する姿も座ってる姿もかわいい♡
どこもかしこもプニプニしててさわり心地よかったぁ♪(´ε` )
女の子(A)はKを気遣いながら一緒に遊んであげてお姉さんしてた!
くりくりおめめで肌も白くて、お腹もちょっと出てて(笑)好きー(´ω`*)
Aの髪型も好きなんだけど、これ、おじいちゃんがカットしてくれてるんだって。
そんなところも好きー!!
2人ともテンション上がりまくりで、Aは絶叫しながら家の中走り回ってたりしてた。
帰りはぐったりしてたよ。私も一緒にぐったり(笑)お母さん大変…
でも子供っていいよね。こういう姿見てるとほしくなっちゃう。

あと、子供の写真って撮るの難しいね。特に動き回られるとほんとブレブレ。
この子たちの成長を勝手に追って行きたいので、もう少し技術が欲しいと思いました。

高校時代の友達がもしこれ見てたら、誰の子かってわかるかな〜??
Kのほうは友達に似てると思うんだけど!

Sunday, June 19, 2011

カメラ


何処かに連れてってあげたい。
ゴメンね(´・ω・`)

Sunday, May 29, 2011

雨曜日


台風&梅雨が近付いてきている。
雨が続くと気分もどんよりだけれど、紫陽花を見たら晴れ晴れしてきたよ*
紫陽花って雨が似合うよねぇ。。。

Thursday, May 05, 2011

こどもの日



普通は何個食べるんだろ?1個?私は3個食べました〜!小豆と味噌餡とよもぎです(*´艸`*)
餅菓子大好き♪ちなみに、ずんだ餅が今のところ心のBEST10第1位です。
どうやら西の方には味噌餡が無いとか…???
桃色のお餅の中に白みそ色の餡の、あの柏餅を知らない友達(熊本県民)がいましたー!
全国区だと思ってたのに!ケンミンショーみたいだ。面白い(笑)




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話は全く変わりますが、5月3日に無事告別式を終えることができました。
もう泣くまいと思ってたけれど、弔辞を聴いていたら涙が止まらなかったよ。
一般席に座りきれないほど弔問のお客様がいらっしゃって、故人の人柄が偲ばれました。
行方不明者がまだいる中、火葬も告別式もできた事は、本当にありがたいことだと思います。
これで、一区切りつきました。
やっと。









Saturday, April 30, 2011

4月が終わっちゃう





この写真がお気に入りです(*^ ∨^*)


あっという間に4月が終わるー!
震災後はあまりやる気もおきず自分のことで精一杯だったけど、だんだん周りも見えてきて、余裕も出てきた中旬頃に、カメラを持って出かけてみた。
写真を撮る気持ちになんてなれないと思ったけれど、桜を前にしたらあまりのキレイさにシャッターを押さずにはいられなかった。その時の気持ちまでを写真で伝えられる腕はないけれどね。

いつもの花見のように、呑めや唄えやと楽しむことはできないけれど、純粋に花を見ることで癒されたし、周りにいる人達の笑顔や笑い声であたたかい気持ちになり、ほっとした。
犬も歩けば棒に当たるじゃないけど(例えが悪くてすみません)、会う人会う人に必ずといっていいほど悲しい事が起こっている。本人にじゃなくても、友達だったり同僚だったりが、亡くなってたり家が流出したり全半壊だったり、原発の影響で避難してたり…それだけ多くの被害があったって事なんだよね。だから、被災者の知り合いがいる人は、大変な状況を知っているし(自分が被災者でもあれば尚更)、酷い事はしないし言わないと思うんだ。福島の人が原発問題で差別されてるっていうのは、どうなんだろう…被災していない人や知人に被災者がいない人がしてるんじゃないのかしら?だって、仲のいい人や身内がそういう状況だったら絶対しないでしょ?そうとも限らないのかしら…あぁ、でも県内ナンバーの車で被災地見物に来てる人もいるらしいからなぁ。。。一概には言えないね。

原発は本当に難しい問題。今まで関心を持たなかったことを後悔してる。私みたいに無知な人達に正しい知識をくれないと(または自分で調べないと)、人は間違った方向に動いてしまうんだよね。東京の人が買い占めにはしったみたいに…
ツイッターで《「ひとつになろう日本」とか「がんばろう日本」というコピーに違和感があって、「がんばれ西日本、休め東日本、落ち着け首都圏」ぐらいがいい気がする》ってつぶやいた方がいた。迷わずお気に入りにいれました。
首都圏の方がどうのこうのというわけじゃない。情報が多すぎて、何を信用すればいいのかわかならいのよ。政府が正しい情報をくれないからこうなってるんだと言いたいのよ。煽るような報道もいけないし、こんな時に限って言い間違いや後で訂正するような報道はいらないのよ。母もそうだけど、年配の方は、最初に言った事が頭に入ってると、なかなか訂正するのが難しいみたい。


何を書いてるかわからなくなってきた。
つまり、ここで自分の胸の内を綴っているだけではなくて、できる事をしなきゃいけないってこと!前向きにいくってこと!強くならなきゃいけないってこと!

ここ最近は気晴らしにiPhoneの写真加工アプリで遊んでた。楽しみがないといつも以上にやってけないんだよー。こんな感じで↓↓↓




こんな風に楽しみもなく、未だ避難所にいる方々を思うと、本当に胸が痛い。
だから自分の発言や行動が不謹慎かな?と気にしてもいた。
でも、こんなささいな楽しみで自分が元気になるならいいじゃない?(開き直り?!)
元気じゃないまま人に会って、暗い気持ちを伝染させたくないし…

またわからなくなってきたー。
自分の気持ちを文章にするのは、何年経っても難しいことだわ。
震災後にこういう事話す機会がなくて…相手を傷つけてしまいそうで、家族としか本音で話せなかった。だから今、ブログでまきちらそうとしたけれど、まとまらなくなってしまった(笑)


もう私は大丈夫。今はただ考えてる。いろいろ考えてる。
「考えろ、考えろマクガイバー」ってあったね、伊坂幸太郎。(脱線しちゃった)
とにかく、いろいろご心配おかけした皆様、ありがとうございました。
心配させるような事つぶやいてるかもしれないけれど、それは考えての事。
今の精神状態は50日前のものとは違います。
元に戻ったのとは違うけれどね。説明できないけど。(あ、心配しないでね)

さぁ、明日は5月1日。美容院に行って心機一転してきたいと思います♪
そして5月3日は告別式に向かうのであります。
本当に最後のお別れなのであります。

Saturday, March 19, 2011

あれから1週間

叔父が、叔母が見つかった場所から数百メートル先で見つかりました。
仲の良かった夫婦、一緒に見送る事ができます。
23日葬儀の予定でしたが、この状況で葬儀を行うことができなくなりました。
葬儀場所がないのです。
燃料がなく土葬の地域も出てきていますが、なんとか火葬だけはできそうです。

津波は地震発生から約1時間でやってきました。
聞いた話によると、その間、叔母は隣の家の落ちた瓦の片付けを手伝い、近所のおばあさんに津波がくるから早く逃げろと言ってカッパや食料を持たせ、自分もセーター2枚着て、叔父も避難所は寒くなるからと、ズボンを2枚重ねてはいたりしてたそうです。
おばあさんは一緒に逃げようと言ったのですが、まず先に行けと言われたそうです。
遺品には保険証やお薬手帳もしっかりありました。
これから生きようとしていた証。
本当に世話好きにも程がある。おばあさんは助かりました。


心の準備がないまま、両親がいっきに亡くなるのはこたえる。と、いとこが言っていました。



いろいろな人から、励ましの言葉をいただきました。
ありがたいことに私のまわりは、人の痛みがわかる、とってもあたたかい人達ばかり。
仕事上でも「東北」と言うとお見舞いの言葉をかけてくださるお客様もいらっしゃいました。泣きそうになったけれど、仕事中なのでこらえました。
もらってばかりですみません。いつか返せるように頑張らないと。

夜ひとりでいると、自責の念と故人への痛惜の念で泣いてしまい、眠れない日が続きました。
でも、もう叔父も見つかったし、会社まで行く道のりでトラックから荷物を下ろしていたり、飲食店が営業再開していたりするのを見て、いつまでも死んだように生きていてはダメだなと思いました。
心を、これ以上痛めないようにひきこもらせていたけれど、意を決して音楽を聴いてみました。
いつもの私に戻れる気がしました。
まだ歌ったり、お酒を呑んだり、買い物したいって欲は出てこないけど、母と話をしていて、久しぶりに大声で笑う事ができました。
友達からもらった「亡くなった被災者から預かった命、なんでもできるよ」という言葉。
ありがたかったです。






↑うちの壁に飾ってるものですが…小学生の頃、私と弟の名前入りのこれを母からいただきました。
人として一番大事な事だよね。
20年以上たった今、これを見て涙するとは思いもよらなかった。
「すてきなひと」にならないとね。
みんな、ありがとう。
これから一緒に頑張って復興していこう。

Thursday, March 17, 2011

3.11

心が痛い
涙を流さない日はない
吐き出さないとおかしくなりそう


地震が発生した時は会社にいました。
いつもの地震だろう、くらいにしか思ってなかったのですが、揺れが強い。しかも長い。
さすがにデスクの下に潜り込みました。
パソコンは倒れ資料は崩れ落ち、天井が剥がれ水が漏れ、壁にヒビが入ったり剥がれたり鏡が割れていたり…
これが恐れていた宮城県沖地震か、と思いながら外を見ると、車は止まり、背の高い街灯や木が揺れて今にも倒れそう。高層ビルには窓掃除のゴンドラが見える。
余震も強く、向かいのビルが異様な動きをしていました。

近くの指定避難所(小学校)へ避難。
その頃はまだ地震の情報はなにもなく、部屋の片付けが大変だなーとしか思っていませんでした。
仕事は再開できないとのことで、帰宅できる人は帰宅の許可がでました。
徒歩で1時間位で帰れるので、地震直後から降り続く大雪の中帰宅。
地下道は通れず、近くの建物の惨状を目の当たりにし、ジワジワと恐怖感が襲ってきました。
もしかしたら家が倒壊しているかもしれない。古い家だからなー。この時の恐怖感はこんなものです。

家は特に異常はなかったものの、灯油タンクが倒れて漏れてしまい、異臭がする。
部屋は高い所にあった物がことごとく落ちていて、テレビやコンポは落下、テレビ台や棚はゆがみ、CDや本は崩れ落ち、壁にかけてた額も一部落ちていました。
残念だったのは大事にしていた絵皿が割れてしまったことぐらいでした。

停電だし、ガスは出ないし、水は出るみたいだけどいつ止まるかわからない。
不便だ。携帯の充電もできない、ガスが復旧しないとお風呂にも入れない。携帯もなぜか圏外。携帯サイトも繋がらない。こんな文句をいいながら暗闇の中ラジオを聴いていると、大変な災害が起きている事を知らされるのでした。津波です。
ラジオは気仙沼や南三陸町が壊滅的な被害を受けた事を何度も繰り返し伝えていました。
私が住んでいる区の隣、若林区荒浜に2〜300人の溺死体を発見というニュース。寒いし暗いし、その状況を想像すると怖くなったので、服を着てコートも着て、首もとにマフラーをかけて、手袋をしながら寝ました。


2日目。
早番だったので、父に車で会社まで送ってもらいました。
停電の影響で、大きな交差点以外は信号がとまってました。
片付けを済ませ、震災時いなかった従業員の皆さんの安否確認の電話をかけ続ける。
休憩室のテレビで初めて津波の被害を目の当たりにしました。
言葉を、声を、失いました。
しかも宮城県では気仙沼や南三陸町だけでなく、石巻市、仙台市、名取市、亘理町、山元町等、岩手県では大船渡市や宮古市、福島県は相馬市、南相馬市、青森県八戸市、茨城県など沿岸部がほとんどやられていました。
私が住んでいる宮城野区でも津波があったなんて知らなかったんです。
しかも本当に近く迄きていたみたいで…ショックでした。
もしかしたら友達の家も津波にさらわれているかもしれない…この時、失う恐怖を感じたのです。
パートさんのお母様と妹さんが津波の被害で亡くなったと知りました。この震災の凄惨さを現実的に感じさせた訃報でした。

石巻方面に住んでいる同僚は会社に泊まっていました。
メールで家族の無事を確認できたが、その後連絡がとれない。テレビに一瞬自宅付近が写ったが、全滅の様子で家は流されただろう、と話してくれました。
家族が無事、家は流されたけど命だけは助かったんだから…そんな言葉しかかけられませんでした。命は助かったけれど失ったものは大きい。これからどこに住めばいいんだろう。
彼女の事を思うと辛くて辛くて泣いてしまいたい気持ちになるけれど、本人はいたって冷静。会社は自家発電で明るいし暖かいし、水も出るし食料も備蓄ありだから快適ですよ。って、気丈に振る舞っていました。

テレビは私には強烈すぎる印象を与えました。津波にあった被災者の方のインタビューを観ては泣いていました。涙を流さずにはいられなかった。そして、どうしてそこまで聞くんだよ、もうやめてよ。とも思いました。

ツイッターでは、友達が励ましのツイートを何度もしてくれて、ありがたいと同時に申し訳ない気持ちになりました。
ライフラインが断たれただけで文句を言っていた自分が情けないです。
2日目は津波の恐ろしさを視覚で確認、友達や親戚の安否が気になる日になりました。


3日目。
シフト上は休みだったけれど、電気をもらいに会社へ。
安否確認の電話を少し手伝い、会社に泊まってる皆さんと話をして、少し食べ物をわけていただきました。
炊飯器とお米を持ってきてくれた人がいて、8合炊いておにぎりをつくり、出来立てをいただきました。具が入っていない塩むすびがこんなにも美味しいだなんて!
テレビはなるべく地元の情報を放送するチャンネルに、もしくは観ないようにしました。
でも新聞の記事を読んでいるだけでも涙が出てきます。

所々で電気が復旧しているとのこと。うちも復旧してるかな?と思ったけれどまだでした。
近くで石油コンビナート火災が起こっているし、復旧は最後の方かなと諦めていました。
この日、断水になりました。

この頃からメールの返事がこなかった友達の返信メールがくるようになりました。
名取市閖上(ゆりあげ)の親戚の安否が不明。本格的に心配になってきました。


4日目。
この日も会社へ電気とお湯をもらいに行く。
そろそろお風呂に入りたい。
会社でみんな洗髪しているとのこと。私も便乗する。上手く洗えなかったけどスッキリしました。
家でネットが繋がらないので、会社にてGoogleの安否確認リストで親戚を探してみる。
名前はあったけれど、これといって情報無し。メッセージを残そうとしたけど、会社のPCはセキュリティ強くてできませんでした。

帰り道、少しでも食料をと思い、餅屋さんで赤飯とおはぎを買って帰りました。
家族は地震発生から毎日スーパーに並んだり、スタンドに並んだりで、食料やガスボンベ、ガソリンの確保にまわってます。
街の様子も少し変化しました。
建物が大きく崩れているというのはないですが、屋根瓦が崩れ落ちていたり、開かないコンビニに行列ができていたり、スタンドに入るために車が車道に行列してたり、公衆電話や自動販売機にまで列ができていて、JRは開かずの間になり、歩いている人や自転車の人が多くなりました。

この日電気が復旧。電気がこんなにも暖かいなんて…全国で節電してもらっているので、せっかくついた電気だけれど、必要最低限使わないように、いつも以上に節電しました。
電気がついたけれど、家ではテレビはつけませんでした。新聞で十分。
ツイッターでもいろんな情報があがってきている。
必要な情報、そうでないもの。なんだかテレビ同様、ツイッターも疲れてきた。
体も疲れてきた。
心がモヤモヤしだしてきた。


5日目。
父の事務所として使っている部屋でシャワーを浴びれることが判明。
5日ぶりに体を洗う。水も大切なので、こまめに止めて使いました。以前は水出しっ放しだったのに。

閖上の叔父さん、叔母さんの安否が気になるので、両親が名取へ行き避難所にいる人のリストを確認してきた。
名前はなかった。
それでもいとこは病院とか、各避難所をまわって情報を集めていたそうだ。
そのなかで、叔母が津波にながされるのを見たという情報が…もしそうであるならば、遺体の確認を急いでしたほうがいいと思った。でもいとこはまだ信じて病院の情報を集めている。津波で流された遺体であれば、早く確認したほうがいいと思うのだけれど…もし安置所にいなければ、再度病院をあたればいいし。この考え方は間違っているのかな。当事者じゃないから、やはり気持ちは100%わかるわけじゃないし…そんな思いがグルグルめぐって泣きたくなりました。
いとこがYouTubeに上がっている閖上方面に津波が襲ってきている映像を教えてくれた。
津波の中継映像、初めて見た。テレビでは津波が襲った後の映像しか見ていなかったので。
最初は木や建物が波にのまれ、流されてるだけだったけれど、そのうち車が走ってる所や、屋上に避難している人たちが写っていて、津波の早さもそうだけど、人間がいる所にまで波がきていることに改めて恐怖を感じた。怖い映像だった。
いとこは一時停止したりして、叔母の車が写ってないか確認したそうだ。

本当に自分は弱い。ライフライン断絶しただけで自分はなんて不幸なんだと思った自分が恥ずかしい。まわりには家を失った人や家族を失った人もいる。それでも弱音を吐かずに頑張っている。今現在も寒くて暗い中、助けを求めている人が大勢いる。もしかしたら誰にも気付かれずに漂流している人もいるかもしれない。津波にのまれた遺体が冷たい海の中、まだ見つけられずに漂っているかもしれない。日本全国はもとより、世界各国からも救援部隊がきている。被爆の恐怖と戦いながら原発で仕事をしている人もいる。買い物ができるようにお店を開いてくれている人もいる。頑張ろう!と励ましてくれる人もいる…
考えだすときりがない。悲しいのか感謝したいのか、本当に涙がとまらなくなってきた。
一度、考えるのをやめよう。疲れてるんだ。早く寝よう。
こんな気持ちで就寝しても、余震が激しくてまた思い出してしまうのでした。


6日目。
とうとう恐れていた事が起こってしまった。
叔母の遺体を確認した、という電話がいとこからきました。
叔父はまだ不明。
いとこの気持ちを思うといたたまれないです。
家も流されているので、遺体は叔母のお姉様の家へ運ぶ、葬儀はたてこんでいるので、早くても23日になるとのことでした。
遺体の移動は明日。話を聞くと、お顔はキレイなままで、化粧もされており、頭に包帯を巻かれていたそうです。恐らく頭を打って気を失った状態で亡くなったため、水の影響はさほどでなかったのではないか、ということでした。
14日に自衛隊が発見して連れてきてくれたそうです。
いつも華やかにして、世話好きで優しい叔母さんでした。
キレイな姿で戻って来れてよかったね。見つかって本当によかった。
私の母より若いのに。孫の成長を見たかっただろうに。娘の成長も見届けたかっただろうに。
14日まで海の中にいたのかな。陸地にいたのかな。寒い思いしてたんだろうな。苦しい思いはしなかったかな。
いろんな思いが湧き出てきます。


なんとしてでも、23日までに叔父を見つけたい。


新聞に震災で亡くなった方で身元判明した方の名前が毎日載ります。
年齢が若いほど、あったであろう将来を思い泣けてきます。
何名助かった、という記事は喜ばしいけれど、その後にまだ何名不明者もいる、と考えてしまいます。
孫と会えない祖父母の記事を読みました。叔母を重ねてしまって涙が出ます。
今、私はとても情緒不安定だと思います。
何を見ても、読んでも、聞いても泣いてしまいます。息が苦しくなります。
こんなにも精神的に不安定だったのか、と自分でも驚いています。
音楽を聴く気にもなれません。本を読む気にもなれません。写真を撮るなんて気もおきません。
やる気がないのです。
少し、気持ちの整理をしたいと思います。

長々と失礼しました。読んでくれてありがとう。

Monday, March 07, 2011

モカモアコーヒー

遠いから行くの無理だろうなーと思ってたカフェに連れていってもらいました♪
地図を頼りに、仙台からだいたい3〜40分くらいで到着。




店先にはキャバリアの店長が!


お昼ねタイムみたいで、なかなか顔を上げてくれなかったー。
守衛は烏骨鶏のうっちゃんで、受付嬢は顔が白い金魚のかおしろさんでした(笑)

ここは古民家を再生したカフェで、なんだか田舎のおばあちゃんちに来たような感じ。


天井が高い。梁がむき出し。これぞ日本家屋って感じ。ファンは洋風だけどねぇ。
薪ストーブあったかかった〜!(これも洋風だねぇ)



本や雑誌もたくさんあって、ちょっとしたブックカフェ。
近くには自然遊歩道がたくさんあるので、ハイキングに行ってきました的な中高年のお客様が多かったです。

小腹が空いてたので、ティラミスと迷ってホットサンドを注文。


あんバターです。久々にこの組み合わせ食べたけど、やっぱり美味しかった☆
友達はピザサンド。外でティラミス食べてるおじさまがいて、そっちも美味しそうでした。

ここは自家焙煎のコーヒー豆も売っていまして、コーヒーがめちゃくちゃ美味しかった!!
正直コーヒーは苦手で、カフェモカをかろうじて飲めるくらいだったんですが、ここで飲んだ本日のコーヒー「モカブレンド」が、嫌いな酸味が少なくてとーっても飲みやすかった!
ミルクも砂糖も入れないで飲めたのは始めてでした。

外の景色は大自然でよかったのだけれど、冬なので茶色い(^^;)
初夏や紅葉の季節にまた来たい(連れてってほしい)なぁ〜と思いました。





モカモアコーヒー
宮城県黒川郡大和町宮床字松倉沢77
TEL 022-346-5105
営業時間
10:00〜夕方くらい
定休日 水曜日(祝日の場合は翌日)