Saturday, March 19, 2011

あれから1週間

叔父が、叔母が見つかった場所から数百メートル先で見つかりました。
仲の良かった夫婦、一緒に見送る事ができます。
23日葬儀の予定でしたが、この状況で葬儀を行うことができなくなりました。
葬儀場所がないのです。
燃料がなく土葬の地域も出てきていますが、なんとか火葬だけはできそうです。

津波は地震発生から約1時間でやってきました。
聞いた話によると、その間、叔母は隣の家の落ちた瓦の片付けを手伝い、近所のおばあさんに津波がくるから早く逃げろと言ってカッパや食料を持たせ、自分もセーター2枚着て、叔父も避難所は寒くなるからと、ズボンを2枚重ねてはいたりしてたそうです。
おばあさんは一緒に逃げようと言ったのですが、まず先に行けと言われたそうです。
遺品には保険証やお薬手帳もしっかりありました。
これから生きようとしていた証。
本当に世話好きにも程がある。おばあさんは助かりました。


心の準備がないまま、両親がいっきに亡くなるのはこたえる。と、いとこが言っていました。



いろいろな人から、励ましの言葉をいただきました。
ありがたいことに私のまわりは、人の痛みがわかる、とってもあたたかい人達ばかり。
仕事上でも「東北」と言うとお見舞いの言葉をかけてくださるお客様もいらっしゃいました。泣きそうになったけれど、仕事中なのでこらえました。
もらってばかりですみません。いつか返せるように頑張らないと。

夜ひとりでいると、自責の念と故人への痛惜の念で泣いてしまい、眠れない日が続きました。
でも、もう叔父も見つかったし、会社まで行く道のりでトラックから荷物を下ろしていたり、飲食店が営業再開していたりするのを見て、いつまでも死んだように生きていてはダメだなと思いました。
心を、これ以上痛めないようにひきこもらせていたけれど、意を決して音楽を聴いてみました。
いつもの私に戻れる気がしました。
まだ歌ったり、お酒を呑んだり、買い物したいって欲は出てこないけど、母と話をしていて、久しぶりに大声で笑う事ができました。
友達からもらった「亡くなった被災者から預かった命、なんでもできるよ」という言葉。
ありがたかったです。






↑うちの壁に飾ってるものですが…小学生の頃、私と弟の名前入りのこれを母からいただきました。
人として一番大事な事だよね。
20年以上たった今、これを見て涙するとは思いもよらなかった。
「すてきなひと」にならないとね。
みんな、ありがとう。
これから一緒に頑張って復興していこう。

4 comments:

  1. 今日テレビで土葬でなく火葬をさせてください、と悲痛に叫んでおられた方がいらしてなんとか支援の方法がないか検索しておりますたらたまたまこちらにたどりつきました。
    言葉がありません。私も阪神淡路大震災で大切なものを失いました。
    ひとつだけ。今はブログでも家族でも友達でも何でもいいから気持ちを吐き出してください。泣いてください。叫んでください。
    頑張らねば、立ち直らねばは当分思わなくていいんです。
    絶対に溜めないでください。出来ることなら聞いて差し上げたい。辛い。苦しい。悲しい。胸を掻きむしる様な思いを全部。
    同じにはならないけれど、痛みを分け合います。
    見知らぬ人間が図々しくコメントなど入れてすみませんでした。

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  2. 昌です。

    松尾スズキさんのtwitter上の言葉を借ります。

    地震はバカ! あいつほんとにバカ! 昔っから思ってたけどほんとバカ! なんにも状況が見えてない!

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  3. >From.Kobeさん

    コメントありがとうございます。
    震災後は友達も被災者なのでなかなか会って話をすることができず、抑えきれない悲しい思いをブログに吐き出しました。
    幾分楽になった気がします。自分の中で処理しようとしてはいけないですね。
    図々しくなんてありません。お心遣い感謝します。本当にありがとうございます。

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  4. >まさ

    地震てKYだね。私も昔から思ってたよ。
    クスッと笑えました。ありがとう!

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